茶房 武蔵野文庫のご紹介

店主あいさつ:代表 日下茂

      <茶房武蔵野文庫にはルーツがあります。>

 

かつて、早稲田キャンパス南門近くに茶房早稲田文庫という喫茶店がありました。日本家屋を改装した一風変わった店で、早大生や井伏鱒二、五木寛之ら稲門文士のたまり場として愛されていました。

 

惜しくも昭和59年に閉店しましたが、当時のスタッフであった現マスターの日下がその雰囲気、味、看板を継承し、「茶房武蔵野文庫」として、ここ吉祥寺に開業しました。

 

当店には、早稲田文庫から引き継いだ蔵書や工芸品が置かれ、壁には井伏鱒二直筆の書も飾っています。

 

また、当店特性カレー、手作りレモンケーキなどのレシピも、当時から変わらないままです。

毎日新聞1996年2月9日号より

 早稲田大学の正門近くにかつて茶房「早稲田文庫」という店があった。

 老夫婦が経営し、圧コーヒーで学生を迎えた。作家や芸術家も出入りし、1984年の秋、35年の歴史に幕を閉じたときは「一つの時代が終わった」と残念がられたものだ。

 その当時、店で働いていた日下さんは今、吉祥寺で喫茶店を経営している。その名も「武蔵野文庫」。日下さんが「早稲田文庫と出会ったのは大学2年生の時だった。

「当時は学生運動が激しい時期。「学校の近くでアルバイトをすれば少しは講義にも顔を出すかな。」と。

 

 もともとは主人の富安龍雄さんの自宅の書庫を学生達に開放したのがきっかけでひらいた。明治、大正時代の作家の初版本が本棚に並び、同人誌の学生達が良く通っていた。「僕に言わせればおやじさんは自由人。店を切り盛りしていたのは、おばさんです。」「おばさん」というのは富安さんの妻、都子さんのことだ。

 都子さんは、よく裏の自宅でケーキを焼き、店に出していた。焼きりんごやレモンケーキ、ヨーグルトケーキなど、そのころにしては”ハイカラ”なメニューが並んだ。とりわけ「おからのケーキ」はしっとりとした歯触り。

 

 気取らない夫婦の人柄に惹かれた。客との会話も面白い。「それに自分はネクタイを締めて会社に通う生活は似合わない。」日下さんは卒業後も店に残り、夫婦を支えようと決めた。夫が亡くなって十年後、都子さんが、店を閉める決心をした時は、さすがに日下さんに言いだせず他人を介して告げた。息子同然に可愛がってくれた都子さんも今は亡き人だ。武蔵野の地で喫茶店を開いて十年になる。

 「男子学生が相手だったのにここでは女性客が多いから最初は戸惑った。カップケーキを出すと、手で食べればいいのに「フォークをください」なんて言われてね。」地元の人や中年以上の客も多いという。「吉祥寺は若者の街っていわれるが、この街を彩っているのはやはり地元の住民ですよ。」日下さんも多くのものをあの老夫婦から引き継いだ。

 焼きリンゴやおからのケーキなどは今もメニューに残る。「でも今、一番感じるのは、客をもてなす心。おばさんたちはいつも精いっぱい、客に対応していたから。」譲り受けた文庫は今も店のつり棚にあった。